雪中雄鶏図

第一回「住まい」

日時
10/25 13:00-16:00
講師
松井薫
会場
長江家

REPORT

限られた敷地を多機能に使う工夫

特筆すべき京町家構造として入口の機能にも注目してみましょう。京都と江戸の町家では入口の数が違います。江戸の町家には、二つの入口がひとつの建物に設置されています。すなわち表に店の入口があり、これとは別に家の者が使う横の入口があります。一方、京町家の場合は建物に対し入口はひとつでした。入口がひとつの京町家では、のれんや敷石に大きな意味を持たせ、公私の空間を使い分けました。たとえば、表に暖簾がかかっていると営業中を意味し、建物の中へ入り内玄関の奥に暖簾がかかっていると、そこから先は立ち入り禁止を意味しました。この暗黙のルールを知らない場合は、取引さえしてもらえなかったようです。このように京町家では、細長い敷地を多機能に使っていました。

資料:「室町末期の小川通の町家と室町通の町家」

建物の入口の方角の多様化

建物の入口の方角が多様化してきたのも江戸時代です。仏教伝来以前は、神道の「天子南面す」つまり神様は北を背に南側を向くという考え方から、建物の南側の入口から入り、南を向いて座している天子に向き合うというのが身分の高い人の家の造りでしたが、この頃から北側入口の建物が見られるようになります。

仏教の「西方浄土」すなわち「西の方角に浄土がある」という考え方が広まり、方角に優劣をつけなくなったことや、人口増加で宅地が小規模化したことも影響しているのかもしれません。

資料:「京都公家町(『新改内裏之図』1677)」

今の御所のあたりの図。大きく空き地になっているところが、天皇陛下がお住まいになっている場所。南に門があり入口になっています。

資料:「武士の家1「岡部土佐守の家」
181.1坪という坪数の大きな家。建物には北門があります。

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