雪中雄鶏図

第一回「住まい」

日時
10/25 13:00-16:00
講師
松井薫
会場
長江家

REPORT

離れに住むとは?

道路側に面した「店の間」で商売をしている期間は、士農工商の身分制度のもと、理不尽な経験をしたり、社会のさまざまなことを見聞きしながら自分たちが上手く立ち回っていくために一所懸命になります。つまり、道路側と社会はつながっているのです。これに対し、奥にある「中庭」に面した「離れ」は、「庭」すなわち自然とつながっているといえます。

京町家の場合、二間しかないような小規模な長屋にも、建物の奥には小さくても庭があります。そのため「店の間」で商売をして社会と接した後、隠居して「離れ」に住むようになると、現役時代とは違う風景が見えるようになり、「この世界を作っている大本は実は自然の方にある」というような見方もできるようになってきます。

若冲は40歳で弟に家督を譲ったとき、おそらくこの庭の世界を見たでしょう。みなさんもご承知の通り、若冲作品には日常生活で身近に接する植物や昆虫、動物を描いたものが多くあります。

仏教思想の広まり

隠居し「離れ」で自然を眺めながら暮らすようになった若冲は、道楽はおろか妻を娶ることも肉を口にすることもなく、絵を描くことにしか興味がなかったといわれています。

性格的なこともあるでしょうけれど、仏教、とりわけ禅宗の影響も大きかったのではないでしょうか。というのも、江戸時代の日本は大陸から伝来した仏教が独自に発達し庶民の間に広まった時代であり、ある時期からはキリシタンの禁制もあり、檀家制度が導入されるなど庶民とお寺との関係が親密でした。

例えば、仏教の考え方に「山川草木悉皆仏性」つまり「草木にも石ころにも仏となるはたらきが秘められている」というものがありますが、葉の虫食い跡や鳥の羽の緻密な描写と動植物の躍動的な構図が印象的な若冲作品には、彼が動植物をはじめとする自然の中に仏性を見いだし、それを描いていたのではないかと感じられるものがあります。若冲は、庭に面した「離れ」に座り、自然を眺めて、眺めて、眺めてしているうちに自然界とシンクロして、植物や虫を鋭い感覚でとらえるようになっていたのではないでしょうか。

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