雪中雄鶏図

第一回「住まい」

日時
10/25 13:00-16:00
講師
松井薫
会場
長江家

REPORT

店の間は外の世界との接点

さて、話を町家の構造に戻しましょう。京町家の造りは、道路側を表として外から来る人を大事にする考え方に基づいています。昔は木のない庭から出入りしていましたが、やがて土間を作り、玄関から出入りするようになります。もともと建物の中の床でない部分を庭と呼んでいたので、玄関から奥へ抜ける土間を通り庭といいます。そして茶の間や家族が過ごす居間が出来てきます。1階の庭に面した座敷は、接客空間であるとともに主人の座として機能していました。通常は「店の間」で接客しますが、年に1回、勘定を締めるときは内玄関を、また、店の主人同士が話をするときは奥の「主人の間」を使用しました。正式な座敷は2階にあり、大事な話をするときは2階まで客人を通しました。さらに大事な客人の場合は、プライベートな空間を突き抜けて、茶室へ行き「一服どうぞ」と主人がお茶を点てながら重要な商談をしました。つまり建物の奥に行くほど重要な客人として扱われていることを意味していました。

公私の空間を分ける日本家屋の細工

このように、京町家はひとつの建物の中で、住居空間と接客空間を使い分けていましたが、これを可能にしたのは、ひき違い建具の発明です。溝を掘り、建具を滑らせて動かす細工が公私の空間を区切る上で重要な役割を果たしました。

本日の会場である長江家は、真ん中の部屋の上に鴨居が吊ってありますが、この鴨居は取り外し可能で、普段はひとつの部屋として使い、客人を通すときは襖を4枚入れて廊下を作り、子どもや母親がいるプライベート空間を隠してしまうことができました。江戸時代は、庶民の家でも空間の使い分けができるようになってきた時代でした。

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