雪中雄鶏図

第一回「住まい」

日時
10/25 13:00-16:00
講師
松井薫
会場
長江家

REPORT

江戸時代中期の社会

若冲が生きた江戸時代中期の京都の家屋について知るために、まずは現代と江戸時代の社会の様子を比べてみましょう。

現代と江戸時代の社会の大きな違いのひとつには、江戸時代には身分制度があり身分を越えて人の思いをつなぐのが難しい時代であったことが挙げられます。

もうひとつは、太陽光をエネルギーとして生活しており、移動手段は馬を使うこともあったものの、中心は自分の足で歩くことでした。衣服についても、綿栽培を行い自然の素材を使って染色し、手作業で衣を織りました。食べ物はもちろん近所の畑で収穫された野菜や米が中心でした。

このように、現代と比べると江戸時代の社会は、衣食住に必要なモノの生産や人の移動に費やすエネルギーは非常に小さかったといえます。

また、個人のライフコースも今とはだいぶ違っていました。商人の場合、20代を過ぎると中年とされ家督を継ぎ商売に打ち込み家族を養い、50代を過ぎると老人とされ建物の「離れ」に隠居しました。

江戸時代の京町家

ここで、本日のワークショップ会場である長江家を例に、若冲が暮らした京町家の構造を紹介します。実は長江家は明治期に建てられた建物ですが、江戸時代の建築様式をよく残しています。

「表屋造り」と呼ばれる建築様式で町家のタイプとしては大きい方です。通りに面し「店の間」、そして「内玄関」、「中の間」、「座敷」があり、「通り庭」が各部屋と「中庭(前栽)」までをつないでいます。「店の間」で商売をし、「内玄関」から中はプライベートな生活空間となり、奥には隠居用の「離れ」があります。そして「離れ」の奥には「蔵」があり「茶室」があり、裏にぬける木戸があります。

このように、京町家は、道路に面した部屋は公共性が高く、奥へ行くほどプライベートな質が高くなっていきます。

一般的に京町家の敷地は奥が深いですが、この建物も奥行き60メートルほどもあります。これは平安京時代、町割りは1ブロックの一辺が40丈(120メートル)で、建物の奥行きはその120メートルを2分割した60メートルとされたことに由来します。

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